「仕事だからしょうがない」と諦めない。自分の思いを大事に選んだ先にあった農業の仕事

数学が好きな学生時代から大手証券会社での社会人スタート、そして社会人3年目でトマト農園に仕事を大きく変えた圭さん。

今回は、その背景にあった子供時代のニューヨーク生活から留学時代のキリスト教文化まで、たくさんの心に残る出来事をハイライトで振り返りました!

話してくれるのはこのメンバー

幼少期を海外で過ごし、小学校入学から日本に帰国。大学卒業後、2年半証券会社に勤務、決済業務や投資部門でビジネスマッチングに携わる。昨年、トマト農園へ転職し現在に至る。Group Lessonへは1年ほど前から参加。

人とコミュニケーションを取るのが大好きなのは子どもの頃から

ー圭さん、よろしくお願いします!さっそくですが、圭さんは小さい頃どんな子どもでしたか?

親の仕事の関係で、5歳までアメリカのニューヨークに住んでいました。人ととっても話したがりで、何かあると率先してやりたがる子どもだったと思います。

ニューヨークの保育園だったので、色々な国籍の子がいて。言葉が通じなくてもみんなで仲良くやろう!という環境でした。

英語も、遊んでいるうちに周りから教えてもらって徐々に覚えていったという感じで。そのうち日本語を忘れてしまうくらい。

ー物怖じせず、コミュニケーションを取りながら周りと楽しくできていたんですね!

はい!保育園で何か行事があると、楽しみすぎて前日熱を出してしまったりしていました(笑)

ー熱を出すくらい!本当に楽しんでいたんですね。日本に帰国したのはいつ頃だったんですか?

小学校へ進学するタイミングで日本に帰ってきました。小学一年生くらいだと、みんな基礎的な日本語能力は身につけていますよね。当時の私は日本語もほとんど忘れてしまっていたし、漢字もよく分からなくて。

周りはみんな日本人だけだったからこそ、出来ない自分を意識してしまっていました。みんな違うことが当たり前で、仲良くしていたアメリカに帰りたい…と思っていました。

ー帰国してからは戸惑いの方が大きかったんですね。

はい。でも基本的に話したがり、やりたがりなので(笑)すぐに「今日遊ぶ友達見つけてくる!」と公園に走っていってました。そうしているうちに、日本でも友達がどんどん増えていって。

ーすごい!(笑) 誰かと話したい、コミュニケーションを取りたくてたまらない!という感じですね。

小さい頃はそんな感じだったんですが、高学年になった時クラスで強い子がいて。その子の言うこと聞かないと、いじめられてしまうというようなクラスの雰囲気になってしまった時がありました。

その時、今まで自分はやりたいようにやってきたけどそれだけじゃだめなんだな、と気づいて。だんだん周囲の目を気にしていくようになりました。

それから中学受験をして、私立の中高一貫校を無事合格したんですが、進学してますます周りを伺うようになっていました。

学校の授業でも先生から「この問題分かる人ー?」って聞かれて、みんな分かっていても手を挙げないので自分も挙げない…みたいな。その環境も自分の中では衝撃的だったんですけど、小学生の時のいじめの印象があったので周りに合わせなきゃ、と思って過ごしていました。

自分を素直に出せる場所を探していた

ーそうだったんですね。それから中高と進んでいって、大学やその後の進路はどうやって決めたんですか?

大学受験の時は、まだ自分がどうなりたいか決めきれていなくて。大学に入ってから色々学んで決めたいなと思って、校風が自分と合っている大学を選びました。

入った大学は専攻が決まる3年生までは英語に力を入れている大学で。2年生の時には1ヶ月半アメリカに留学をして、エッセイを書き上げる授業があったんです。

留学先で大学院生や大学の教員の方の集まりに呼んでもらったことがあって。その集まりは聖書を読んで一緒に勉強しましょう、という会で、みんなキリスト教の精神を信じていました。

例えば「人に誠実である」という教えを心の底から信じていて忠実に行動されていたり、初めて会った私の居場所を作ってくれたりしました。今まで出会ったことのないような人ばかりだったので、素直にすごいなと。毎日授業終わるとすぐに、その人たちに会いに行っていました!聖書の話だけではなくお互いの国の話したり、みんなで遊びに行ったり。

出会ってすぐに、自分の思ってることや考えていることを素直に話せたり、本音を伝えられたのが衝撃的で。教会の人でなくても、誰でも来ていいよ!という開かれた場が、自分にとって心地よかったです。

圭さんは帰国後、どのような選択をし、何を大事にしていったのでしょうか。後半では現在のトマト農園で働くまでのエピソードと、圭さんの思いに迫ります!